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錦町商工会
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コースガイド

 錦町の北東に位置し、迫、覚井、岩城、馬場の4つの集落を通る。蔵城公園からは、球磨川と田園風景、球磨盆地が見える。迫集落の裏田を通り、覚井集落に入ると皮膚病のご利益のある二宮神社がある。岩城集落には戦国時代後期に木上の地頭として岩城を居城とした窪田越後一族の墓がある。岩城跡の神秘に満ちた森の中に日本遺産木本神宮がある。木本神宮からは市房山、白髪岳が一望できる。岩城跡の崖面には人吉海軍航空基地跡の地下自動車工場の遺構が見られる。長安寺の梵鐘を鳴らし心安らぎ迫集落に入ると球磨郡内で最も古い庚申塔がある。


道順

 蔵城公園をスタート、球磨川と田園風景、球磨盆地の山々を一望し、なだらかな坂を左方に下ると迫集落に入る。里道を右に曲がり崖下を抜けると前方に田んぼが見える。左奥の閑静な森の中には迫集落を守る葛掛神社がある。里道を右方に歩くと前方に迫の庚申塔が建立されている。迫の庚申塔を右後方に前方に歩き曲がりくねった里道を抜けると小山の中に裏田が見られる。右方に歩き里道を右に曲がると道沿いにはきれいな湯倉川が流れている。湯倉川には、夏になるとホタルが光を放つ。覚井集落に入り左前方に歩くと左側の小高い山裾に二宮神社が鎮座されている。二宮神社は、皮膚病にご利益のある神社である。なだらかな坂を上ると左前方に浄土真宗本願寺派の明覚寺が見える。明覚寺を後方になだらかな坂を下ると木上地区の水田を潤す木上溝と県道人吉水上線に突き当たる。県道を横断、商店から左方向に歩くと目の前に崖が迫って見える。崖下の坂を上ると右側の崖上には窪田越後一族が眠る墓地がある。更に坂を上ると竹林がギシギシと音を立て岩城跡にたどり着く。岩城跡には日本遺産である木本神宮が鎮座されている。神秘に満ちた森の中の木本神宮からは市房山、白髪岳が一望できる。木本神宮から逆戻り、右側に曲がり坂を下ると木上溝が見える。木上溝沿いを南方に歩くと右側には崖が聳え立ち平河氏の居城が見える気がする。崖面には人吉海軍航空基地跡の地下自動車工場の遺構が見られる。崖下を通り抜け右方に歩くと馬場集落に入る。球磨川の風を受けながら前方に歩くと県道覚井線が見える。県道を横断、周囲を大木が囲む民家を通り右に曲がると左前方に保育園が見える。里道を右に曲がると再び県道覚井線に出る。県道を左方に歩くと左側の広い敷地の片隅に直売所のやさい村がある。前方の県道人吉水上線を横断すると高台に臨済宗妙心寺派の長安寺が見える。長安寺の坂を下り左に曲がり左方に入ると再び覚井集落に入る。左側の高台には木上小学校が見える。里道を前方に歩くと再び迫の庚申塔がある。迫の庚申塔は、球磨郡内で最も古い庚申塔である。迫集落の里道を前方に歩くとゴールの蔵城公園に到着する。

おすすめポイント・寄り道ポイント

 蔵城公園(くらじょうこうえん)
地域住民の憩いの場、スポーツ、レクリェーションの場である蔵城公園からは、錦町の木上地区の商店や民家、球磨川、田園風景、遠く一武地区、球磨盆地の山々が見渡せる。
葛掛神社(かつらかけじんじゃ)
社殿は前方が入母屋造、後方が切妻造、セメント瓦葺、妻入、間口3間、奥行4間で、前方2間を拝殿、後方2間を本殿としている。創建は、鎌倉時代の承久年間(1219~1222)で、紀伊国(現和歌山県)の熊野速玉神社からご神体を迎えた際、ご神体を桂木に掛けてお祀りしたので“桂掛権現”と呼ぶようになり、後に“桂”の字を“葛”の字に改めたとされている。
 迫の庚申塔(さこのこうしんとう)
迫公民館の南側の三又路に建立されている。六角柱の笠塔婆で総高約105cm、柱が約80cm、笠が約25cm。正面の上部に釈迦、薬師、虚空蔵を表す梵字が刻まれ、その下部に天文3年(1534)と刻まれている。
年号を記したものとしては球磨郡内で最も古い庚申塔。
迫の地蔵尊
迫の庚申塔の脇に祀られている。お堂はトタン葺の小祠で、間口78cm、奥行30cm。仏像は総高55cm、像高37cm、基礎2段高さ30cmの石造地蔵菩薩坐像。
 二宮神社(にのみやじんじゃ)
本殿は一間社流造、板葺。拝殿は、切妻造、瓦葺、妻入、間口3間、奥行2間。祭神は、阿蘇神社と同体。応永24年(1417)に藤原周頼と地頭の永前禅門周豊によって再興された。神社の近くを流れる湯倉川にはナマズは棲まず、氏子はナマズを食べないことから、皮膚病のなまずに大変御利益のある神社とされ、昔から皮膚病治し祈願の参詣者が多かったと伝えられている。
 明覚寺(みょうかくじ)
浄土真宗本願寺派。本尊は木造阿弥陀如来立像。
江戸時代、球磨郡は鹿児島の薩摩藩と同じく浄土真宗の信仰は禁止されていた。明治6年(1873)に信仰が許された。
明治29年(1896)に木上馬場に浄土真宗の説教所を設立し、明治36年(1903)に本堂が完成。この寺は“馬場ン寺”と呼ばれた。大正11年(1922)に明覚寺という寺号を得て、昭和10年(1935)に現在の地に移転。
覚井の庚申塔
道路脇に建立されている。高さ146cm、宝永4年(1707)銘「庚申塔 宝永四丁亥四月吉祥日」と刻まれている。
木上溝(きのえみぞ)
あさぎり町須恵と深田の境にある石坂堰を球磨川からの用水取り入れ口とし、深田小学校の地下を通るトンネルをはじめとして、3つのトンネル延長約790mを通り木上辰口に抜け、十日市集落までの総延長約8kmの灌漑用水路。
江戸時代に完成したことは判っているが、木上溝に関する史料はほとんど残っていない。
岩城の庚申塔
岩城公民館前に建立されている。高さ180cm、宝永4年(1707)銘「庚申塔 宝永二二丁亥天四月吉祥日 当村近里之信男信女」と刻まれている。
窪田越後一族の墓
(くぼたえちごいちぞくのはか)
岩城跡の西南部に、窪田越後を始めとする一族の墓である五輪塔10基余りが並んでおり、その中の「昌山勝繁」という戒名を刻んだものが窪田越後の墓である。
岩城跡は、球磨郡の中心部に位置し軍事的に重要な城で、戦国時代後期(15世紀末)に木上の地頭として岩城を居城としたのが窪田一族である。
 日本遺産木本神宮
(にほんいさんこのもとじんぐう)
文化庁が平成27年(2015)に創設した「日本遺産」に認定された相良700年が生んだ重要な文化財の一つである。本殿は一間社流造、板葺、拝殿は、切妻造、瓦葺、妻入、間口・奥行3間、向拝1間。祭神は、市房神社と同体。13代相良長毎が市房神社へ参詣に出かけたが、途中岩城に宿泊した際、洪水で念願が果たせず、岩城に市房神社を歓請し永正10年(1513)に建立した。
木本神社からの絶景
神秘に満ちた森の中の木本神社からは市房山、白髪岳が一望できる。
 長安寺(ちょうあんじ)
臨済宗妙心寺派、本尊は観音菩薩坐像。江戸時代の元禄3年(1690)に木上出身の完室祖全によって創立された。境内には20代相良長毎、21代頼寛、22代頼喬の三代藩主の供養塔である五輪塔が建立されている。木上村に住む武士は、相良氏菩提寺の願成寺までお参りに行く代わりに、長安寺の供養塔にお参りして済ませたと云われている。

車でのアクセス

蔵城公園(スタート・ゴール)は、九州自動車道・人吉ICから約25分。


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